偉大な祖父
今日はトライアスロンの事を書こうと思っていたのですが、
仕事で行った文化会館で、強力だった祖父の事を展示してあったので、
そのことを書こうと思います。
私の祖父は、私が生まれる前ですが富士山で
「強力」
をやっていました。
登山時期ではない時には、「臼」を作っていました。
今「富士宮市民文化会館」で、
「強力 ~富士登山案内人の軌跡~」展
が開催されていて、強力の事や祖父の事があれこれ展示されていました。
(杖と背負子)
(登る順番を決めるくじと登山中かどうかを示す名札)
(登山時期以外の時の様子)
昭和45年に、現在の富士山新五合目(2400m)まで車で行ける様になり、
登山者の動向や山小屋・強力の営業にも大きな影響を受け、
強力組合はこの年に解散したそうです。
その最後の組合長が祖父だったそうです。
祖父は、私が幼い頃は「頑固で怖いじいじ」という感じだったり、
私自身が強力という仕事にも興味が無かったので、
強力の話を聞くことはありませんでした。
そんな中、
「富士山」が世界文化遺産に認定されたり、
「富士山世界遺産センター」が出来たりと、
富士山に関する歴史に対して興味を持たれる良い機会になったのかと思います。
祖父も、昔話を楽しく話してくれるようになりました。
3つ下の弟も、
富士宮に帰ってきて夏場は「富士山」のガイドの仕事をしているのも、
祖父にとっては嬉しい事なんだなと思います。
初めてのミドル(70.3マイル)トライアスロンが終わって2日経ちますが、
それほどダメージ無く過ごせているのも、
祖父から受け継がれた「体の強さ」があるのかなと思います。
感謝です。