雲仙普賢岳、噴火からの復興
広島の地から、義父の実家のある南島原に向かいました。
(「肥前山口」までのチケットになっているのは、JTBの方が考えたテクニックらしいです)
新幹線「さくら」に乗り九州に入り、諫早から島原鉄道に乗り換えます。
富士・富士宮で言えば岳南鉄道や身延線の様な感じのワンマン電車です。
ここまで指定席で来ているので、子供たちが「ブーブー」言い出すと思いきや、適応能力が素晴らしくたのしくのっています。
列車の先頭に場所とって単線の雰囲気を楽しんでみたり、後乗り前降りのワンマン電車のシステムを不思議がって運転手さんが切符の受け取りをしているのを乗客の妨害をするほど見ていたり、相席になったボックス席で他の乗客のおばあさんと話をしてみたり、長旅で疲れているせいか寝てみたり、心配する必要はありませんでした。
(単線なので駅での待ち合わせは何度もあります)
(途中、広島みやげの「もみじ饅頭チロル」をもらいましたが、チョコとあずきのマッチングは・・・私はもういいかな)
終点「島原外港」まで乗りました。
この島原鉄道、もとはもっと長い路線でした。
しかし、平成3年の「普賢岳」の噴火により、その先は廃線となってしまいました。
その後、義父がどうしても私たちに見せたいと言う、
島原外港駅から義父の実家のまでの間にある、
「がまだすドーム」
に行ってきました。
「がまだす」とは、方言で「頑張る、精を出す」というような意味で、災害から頑張っていこうという気持ちが込められています。
噴火当時のドキュメンタリー映像や、火砕流の様子、
焼き尽くされた後の様子など、災害の様子が展示されていました。
報道で使われていたであろう、火砕流の熱で焼けてしまったテレビカメラ。
三輪車とビールケース、
ガードレールにスクーターです。
その後に起きた土石流の様子も見る事が出来ました。
子供たちは、火砕流が向かってきても
走って逃げられる、車で逃げれば大丈夫、などと言っていましたが、
時速100キロにもなる、体感のシアターを見ると凄さがわかった様でその話はしなくなりました。
私も小学生の頃はそんな甘い考えを持っていたので、同じ衝撃を受けたのかなと思います。
その後には、災害から復興に向けての年表が掲示されていて
「長かった災害」の様子を知る事が出来ました。
土石流の様子が凄まじく、壊滅的な街の様子を見ました。
一番高いところが、この噴火によって出来た1486mの「平成新山」。
長男よ、この山を見て何を思う。
富士山のふもとに住む私も、他人事とは思えない展示の数々でした。
最初の噴火から数十年も復興に苦労された様子を感じて、考えさせられること多数です。
近くに来ることはあまり無いかもしれませんが、お近くに来た時には足を運んでみてください。
義父の勧めで翌朝のジョギングでこの災害で廃液になった「布津駅」に行ってきました。
駅とホームの様子はそのままで、線路が無い。
寂しい感じになっていました。
ジョギングだと移動距離は限られますが、発見があって面白い。
車での観光には無い魅力がありますね、楽しい!